1947年8月20日ミシガン州ソウルト・セイント・マリーの生まれ。1950年代中盤に
聴いたフランキー・ ライモン&ザ・ティーンエイジャーズの<Why Do Fools Fall In Love>に大きな影 響を受け、自らもシンガーになることを夢に見る。ハイ・スクールに通う頃から本
格的な音楽活動をスタート。彼の妹、および、その友達と3人でア・カペラ・トリ オThe Utopiasを結成し、レイ・チャールズのナンバー<What'd
I Say>< Unchain My Heart>などを歌う。その後、デモ・テープが認められ、1966年に地元 デトロイトのレーベル:Fortune
Recordsから<Welcome, Baby, To My Heart>とい うシングル盤でレコード・デビュー。1970年代に入ると今度はミュージカル「ヘア
ー」に出演し、アメリカ中をツアーで回る。そしてツアー終了後は「ヘアー」に出 演していたリン・ピットニー(オハイオ州クリーヴランド出身)、ラナ・マラーノ
(ミシガン州デトロイト出身)他でグループ活動をスタート。Spoonspell、 Valentineと、幾つかのグループを経るが、結局はデヴィッド、リン、ラナの3人組
に落ちつき、彼らはRosieと名乗ることに。ロージーは、RCAとプロダクション・デ ィールを持っていたプロデューサー:ゲニア・レイヴァン(元Ten
Wheel Driveのリ ード・シンガー)のプッシュもあり、目出度くRCAと契約。1976年に1stアルバム「 Better Late Than
Never」をリリースする。そのアルバムには、マイケル・ゼイガ ー、チャールズ・カレロ、ピー・ウィー・エリス(JB's)といった名手をアレンジ
ャーに起用。バックにもリック・マロッタ、アンソニー・ジャクソン、マイケル& ランディ・ブレッカー他、NYの一流ミュージシャンが多数参加している。デヴィ
ッド・ ラズリーの目指すブルー・アイド・ソウル路線はしっかりと打ち出されているが、 彼のハイ・ヴォイスにちょっとしたトラブルがあり、残念ながら完璧な作品とまで
は至らなかった。しかしながら、デヴィッド・ラズリーのヴォーカル・パフォーマ ンス&ソングライティング能力は、NYのスタジオ・シーンで日に日に人気を高め
、ブレッカー・ブラザーズのアルバム「Back To Back」でもメンバーとコラボレー ト。さらにガーランド・ジェフリーズのセッションで一緒になったジェイムス・テ
イラーから大いに気に入られ、77年から彼のツアーに参加。以来、ライヴ、レコー ディング、その両方でジェイムスの音楽を大きくサポート している。
その1977年、ロージーはマイケル・ケイメンをプロデューサーに迎え、2nd「 Last Dance」を発表。 ドクター・ジョン、デヴィッド・サンボーン、マイク・マイニエリ、コーネル・デ
ュプリー他の名手を バックに、独自のシティ・ソウル感覚を打ち出すことに成功する。しかしながら、 これといったヒットは 生まれず、グループはやがて解散してしまう。その後のデヴィッドはNYのスタジ
オ・シーンでさらに 引っ張りだことなり、RoundtreeやThe Good Vibrationsといったセッション・グル ープでもレコードをリリース。その頃のセッション仲間ルーサー・ヴァンドロスと
共に、シック絡みのセッションでも活躍する。 1978年からAlmo Musicと作家契約 を結び、LAに移住。リタ・クーリッジ<Love Me
Again>(78年:全米68位)、マ キシン・ナイチンゲール<Lead Me On>(79年:同5位)、ボズ・スキャッグス< JoJo>(80年:17位)他、数々の名曲を作/共作し、ソングライターとしてクロー
ズ・アップされるようになる。 80年代初頭はセッション・シンガーとして無数のレコーディングに参加。そして 、82年、EMI Americaと契約し、初の公式ソロ・アルバム「Missin'
Twenty Grand」 を発表。ここに収められた<If I Had My Wish Tonight>が全米Top40入りするスマ ッシュ・ヒットを記録する。さらに、84年には同じくEMI
Americaから第2作「 Raindance」をリリース。ここでは、今をときめくドン・ウォズがプロデュースを 手掛けている。 その後も、作曲家として、また、セッション・シンガーとしてあらゆるレコーデ
ィングに参加。89年にはそんな多忙の中を縫って3rdアルバム「Soldiers On The Moon」をポニー・キャニオンのPCH=Pacific
Coast Highwayレーベルから発表。キャ ロル・キングの<It's Too Late>他、他のアーティストの作品も 積極的に取り上げ、ソングライターとしてよりも、シンガーとしての自分を大きく
アピールする。 90年代に入ると、より自由な活動を展開。ジェイムス・テイラーのツアーに同行 する一方では、ニュー・エイジ系のピアニストのプロデュースまでを手掛けるよう
になる。音楽以外でも、アート全面でその才能を発揮するデヴィッド・ラズリー。 暇が出来たら、今度は大好きな絵画の方に時間を費やしたい、と語っていいる。 |