<マイク・ランディ>
 <P r o f i l e>

マイク・ランディは1952年11月28日ホノルル生まれ。10歳くらいで出会ったザ・ビートルズから多大なる影響を受け12歳からギターをプレイ。直ぐに曲も書くようになり、13歳の時にはプロとしての初めての仕事を経験する。

『デルトーンズという若いバンドだった。教会のパーティーとかで演奏したんだけれど、2曲しかレパートリーがなかったからその2曲を繰り返し繰り返し、それで1時間以上演奏したよ。でも、当時は、なぜお客さんが帰っていくのか解らなかったんだ(爆笑)。だって、音はとても好かったからね』

このデルトーンズ在籍時にマイク・ランディはソロ・シングルをリリースしている。盤に年号が書かれていないのと、本人の記憶も多少曖昧なので、多少の誤差があるかと思うが1960年代の終盤、マイクがまだ10代半ばから後半という若い時である。その曲<Gray Skys>は、彼が12〜13歳の頃に初めて書いたという作品。曲調、サウンドはソフト・ロックっぽい雰囲気を持っているが、しかし、10代とは思えぬ黒っぽいヴォーカルはまさに驚愕の一品。「The Rhythm Of Life」で、そして「Inner Flame」で惜しげもなく披露しているブラック・フィーリングはまさに天性のものだった、というわけだ。

初めて買ったレコードはザ・ビートルズの「Meet The Beatles」。そして生涯のベスト5アルバムとしてザ・ビートルズの「The Beatles(White Album)」、ザ・ビーチ・ボーイズの「Pet Sounds」、タワー・オブ・パワーの「Bump City」、ブラッド・スウェット&ティアーズの「Chiid Is Father To The Man」、そしてパット・メセニーのものならばなんでも、という5組を挙げるマイク・ランディ。特にタワー・オブ・パワー、そしてBS&T、この2つのファンク・グループからの影響が大きく、1970年代を通してホーンをフィーチャーしたバンドで活動。自らのバンド:パワー・オブ・ライトでは、メインランドの各地をツアーで廻った経験もある。

また、その一方で、ハワイの歌姫、ノヘラニ・シプリアーノを始めとするローカル・アーティストのバックでギターを弾き、また、時には曲も提供。そして、1970年代終盤、遂に彼は自ら行動を起こし、LAへと旅立つ。

『カラパナの1stアルバム(「Kalapana」(1975年))のサウンドが好きで、そのプロデューサー:バリー・ファスマンを訪ねてLAに行ったんだ。そして彼に電話して実際に会い、4曲のデモを作り、それをシマ(ハワイのプロデューサーのゲイリー・シマブクロ)に送ったところ、直ぐにディールが決まったんだ。
 そして彼のプロデュースで彼のレーベルSecor Recordsから発売することが決まったんだ。アルバムはそんなに売れなかったけれど、音のほうは、当時としては結構好かったんじゃないかな? というのも、エンジニアを務めたリック・スミスはかつてLAで、フランク・ザッパを始めとする数々のビッグ・ネームのアシスタント・エンジニアをやっていた人間で、その彼と納得がいくまで音を詰めたんだ。確か、テスト・プレスを2回だか3回やった記憶があるよ』

そのアルバムこそが幻の名作「The Rhythm Of Life」。熱心なハワイ音楽フリークにとってもかなりのレア盤となっているこのアルバムは、1曲目からマイク・ランディのファンキーなソウル・フィーリングが全開する1枚で、ホノルル生まれの白人が歌っていることが信じられない、ブラックな世界を醸し出している。貴方のヴォーカルは何故にそんなに“黒い”のですか?と訊ねると、『どうも、ありがとう。それは最高の賛辞だよ。音楽は"the language of the soul"なんだ。だから僕は、演奏したり歌を歌う時、自分が出来る限りディープな気持ちを表現するんだ。特に、自分の曲の時はよりいっそうね』と“クールに熱く”答えてくれた。

その後もマイク・ランディはマイ・ペースな音楽活動を続け、今でも、いろいろなライヴ・スペースでギターを弾きながら歌っている。それらは、彼と同じくブルー・アイド・ソウルな喉を披露するアドニー・アタベイ(Aura〜Phase 7〜Tino & The Rhythm Klub)とのユニットが大半で、時には、サックスもフィーチャーしながら、古いR&Bのナンバーを主なレパートリーにしている。

そして、最強の1stアルバムから20年強。マイク・ランディは再びフロントに立つべく、入魂のリーダー作を完成させた。「Inner Flame」と題されたそのアルバムは1stを踏襲した、マイクならではのアーバン・ソウルを基本スタイルに、より柔軟なサウンドを構築。パット・メセニーに通じるインストを披露したり、新しい一面もしっかりと覗かせている。ここ何年かは、スパイロ・ジャイラやリッピントンズが好きだ、というなど、いわゆるスムース・ジャズ系の音楽も耳にしているようだが、特に、コード・ワークの妙と変拍子を含む巧みなリズム・チェンジ、グルーヴ感をもてあそぶ姿にマイク・ランディのそこはかとない才能、その奥深さが感じられる。セッション・プレイヤーとしても多くのレコーディングに駆り出されるギタリストでありながら、しかし、そういったテクニックのひけらかしは全く見せていない。それは彼のこの言葉が裏付けとなっている。

『歳もとったし、あまりそういうのは興味がなくなったね。音数は少なく、必要な音だけを出す。まさに、"Less is More"だね。量より質が重要だよ(笑)。それから若い時は何かとギターに興味や耳が行ったりするけれど、年月が経つとドラムスやベースの重要性がよりいっそう解って来るんだ』

そんなマイク・ランディから日本のリスナーへのメッセージが届けられた。

『まず最初にこの機会を作ってくれて本当にありがとうと言いたいです。音楽は皆が分かち合える共通のもの。私達は皆、同じ所から来ていますからね。ソウルはタイムレスなもので、我々皆が持っているもの。聴いた皆が楽しんでくれることを願っています。なぜなら、この音楽は皆のものですから』