<スウィート・コンフォート・バンド>
 1974年に、カリフォルニア州リヴァーサイドをベースにしていたミュージシャン、ブライアン・ダンカン(key,vo)、リック&ケヴィン・トムソン((ds)&(b))の3人で結成。1976年にギターのランディ・トーマス(元Psalm 150、元Sonrise)が参加し4人編成に。同年、<Golden Ages>という曲をレコーディングし、これがCCMの名レーベル:Maranatha! Musicのコンピレーションに収録。そして翌77年にスウィート・コンフォート名義で1stアルバム「Sweet Comfort」を発表。トミー・クームズ&ジョナサン・デヴィッド・ブラウンをプロデュースに迎えたそのアルバムは、3日間で1万枚を売るほど大きな注目を集める。

 しかしながら、アーティストの育成よりもレーベルそのものの宣伝に力を入れていることを痛感し、Maranatha! Musicとはアルバム1枚でディールを終了。今度は、CCMレーベル最大手の1つ、Light Recordsと新たに契約し、78年に「Breakin' The Ice」を発表する。プロデュースにはシーウィンドのドラマー:ボブ・ウィルソンを迎え、軽快なホーンもフィーチャー。<Got To Believe>(CCMチャート:最高6位)、<Searching For Love>(同:20位)、<I Love You With My Life>(同:14位)と、3曲のヒットを生み出している。また、このアルバムからグループ名をSweet Comfort Bandと改めるが、それはSweet Comfortのままだとマットレスの会社と間違えられるから、とのこと。

 続く79年にはブーンズ・ガールズ他を手掛けたトム・スタイプをプロデュースに迎え通算第3作「Hold On Tight」をリリース。ここからは、メロウ・ソウル系<Undecided>がCCMチャートで16位まで上がるヒットを記録。その人気を不動のものにする。

 さらに1981年には、デヴィッド・ディッグス&ジャック・ジョセフ・プイグのプロデュースで「Hearts Of Fire」を発表。ルイス・ジョンソン(b)、ポール・ジャクソンJr.(g)他の名手がゲストで参加し、アルバムの質感も、グループの中で最も洗練されたものになっている。ここからは<You Need A Reason>がCCMチャートの第7位まで上昇している。

 1982年には5枚目の「Cutting Edge」を発表するが、ここではジャック・ジョセフ・プイグの単独プロデュースへと変わっている。彼は、ジェリーフィッシュやブラック・クロウズを手掛けたことで、90年代以降のアメリカン・ロック・シーンにおいて大きな人気を獲得している1人である。

 また、グループとしてはもう1枚、「Perfect Timing」というアルバムを1984年にリリースしているが、ジョンの兄、ディノ・エレファンテが手掛けたこのアルバムはかなりコマーシャル・ロック路線を歩んでおり、初期の彼らとは全く違う世界が展開されている。そして、それは、バンドの終演を予告するものでもあり、丸10年の歴史を持って、スウィート・コンフォート・バンドは解散してしまうのだった。
 しかし、その後の彼らはより精力的に活動。ブライアン・ダンカンは翌1985年からソロ・アルバムを発表し続け、アッという間に、CCM界のトップ・シンガーの座に君臨。
 一方の、ランディ・トーマスも旧友ボブ・カーライルと共にバンド:アライズ(Allies)を結成。こちらも85年からアルバムを発表し、90年代初頭まで活動。その後は、ソロ・アーティストへと転身したボブ・カーライルのアルバムにライター他で協力。2人で書いた<Butterfly Kisses>は1997年に一大ブレイク。ボブのアルバムは全米No.1という快挙を成し遂げる。また、同じく1997年には、元レジェンド・セヴンのアンディ・デントンと共にアイデンティカル・ストレンジャーズというユニットでアルバムを発表。現在は、ナッシュヴィル活動を続けている。
 また、ドラムスのリック・トムソンはスウィート・コンフォート・バンド解散後、主にセッション活動を行い、1987年にはトミー・ファンダーバーク、ブライアン・ダンカン他、錚々たる顔ぶれが揃ったコンピレーション・アルバム「Voices」で大半の曲のプロデュース、約半数の作品を共作し、その存在感をアピールしている。