<12月8日(木)>
「今日の出来事」
●今日はジョン・レノンさんの命日。しかも、25周年という節目の日に自分がNYに居るなんて夢にも思いませんでした。泊まっているのがロウアー・マンハッタンということもあってダコタ・ハウスまでは距離もありますし、熱狂的なレノンさん信者というわけでもないのでそちらに向かって花の一輪でも、とは行きませんでしたが、「うちの店では、今日はジョン・レノン特集!」といった類いの張り紙をあちこちで見かけると、やはりマンハッタンにとって12月8日がどういう意味を持っているのか、その影響力を感じずにはいられません。ちなみに、アントニオ・カルロス・ジョビンさんもこの日が命日。今年で満11年になりますが、流石にこちらは目に飛び込んでは来ませんでした。
●さて、今日も非常にアクティヴな1日。結局、NYという街が私達をそうさせるのでしょうね。午前中から移動して、ホテルに帰ってきたのは夜中の12時前。今日もまさに、収穫大!の1日でした(って、中古漁りの収穫ではないですよ<笑>)。では、それを振り返ってみましょう。まず、お昼過ぎにミッドタウンにあるAvata Studioでアル・シュミットさんにインタヴュー。このスタジオはかつてPower Stationの名称で数々の名作を生み出した伝説の場所。シックのナイル・ロジャースが常時使用していた所ですね。1994年に今の名前に変わったとのことですが、天井の高い、いかにも、好い音が出そうな所でした。アル・シュミットさんは基本的にはカリフォルニアに住んでいる人なので、この3月にもキャピトル・スタジオでお会いしていますが、トミー・リピューマさんの仕事であったり、NYに刈り出されることも少なくないようです。こちらにもアパートを持っている、とのこと。それと、元もとのお生まれがNYのブルックリンだそうで、勝手知ったる地元なり、といった感じでした。今回、アルさんはジョー・サンプル&ランディ・クロフォードが共演したアルバムのミックスをしているそうで、これは春にはPRAから出る、とのこと。日本だとVA社でしょうか? 詳細は訊きませんでしたが、非常に楽しみです。そんなアルさんは10代からデューク・エリントンのレコーディングでエンジニアを任され、以後、もう50年くらい常に第一線で活躍している凄い人。テクノロジーの進歩、発展に附いていかないといけないので、エンジニアというのはミュージシャン以上に大変だと思うのですが、「音楽に対するパッションがあれば(全く問題ない)」と、さり気なく語ってくれました。ホント、ジェントルです、毎度毎度。
● そしてピザ屋さんで昼食をとり、2時前からピアノで有名なSteinwayのスタジオでボブ・クレンショウさんにインタヴュー。彼もまたリヴィング・レジェンドなアーティスト(ベース)で、ソニー・ロリンズと40年以上にわたってプレイしていたり、NYのジャズ・シーンでは一目置かれている存在です。なんでも、マーカス・ミラーもチャック・レイニーもこの人から多大な影響を受けているとのことですが、「好い時代に生まれ育ったから、周りのジャズメンと一緒に成長していくことが出来たんだ」と非常に謙虚に語ってくれました。最近は、セサミ・ストリートの音楽を手掛けているそうで、この日も、そのレコーディングに携わっていました。あ、そうそう、ボブさんの息子さんはかつてマーカスの後釜としてマイルス・バンドに参加したり、それからスティーリー・ダンのツアーにも参加していたよ、という人ですが、さ、誰でしょう? 正解はトム・バーニー。なるほど彼は血統書付きの人だったんですね。
●その後、ブロードウェイ・シアターの楽屋口に行き、今度はドラマーのバディ・ウィリアムスさんにインタヴュー。実はこの12月からここで上映され、かなり先まで公演が決まっているのが「Color Purple」なんです。スピルバーグ監督の下、映画が制作、公開されたのが今から20年くらい前のことになりますが、クインシー・ジョーンズがプロデュースを手掛けたサントラとは全く違い、全て新曲の模様。それも音楽はブレンダ・ラッセル、アリー・ウィリス、スティーヴン・ブレイ(久々に聞く名前ですね。初期のマドンナと仕事していた人ですよね)の3人が手掛けているとのこと。そして、公演は全て生演奏のようですが、そこでドラムスを任されているのがこの人、バディ・ウィリアムス。もうかれこれ30年も日本に行き続けているとのことで、日本語が飛び出す飛び出す! 「外国人で一番好きなのは絶対に日本人! 納豆大好き! たくあん最高!」など、ムッチャクチャ明るい人で面白かったです。かつてのデイヴ・グルーシンのバンド、ナベサダさんのバンド、リー・リトナー、ロバータ・フラック....NYのフュージョンやR&Bシーンは、やはり、この人抜きには語れない、といったキャリアの持ち主です。ホミ&ジャーヴィスもこの人とマーカスでしたよね、確か。
●そして、43rdストリートにあるパラマウント・ホテルのお洒落なバーでビールを飲んで、7時半過ぎにはそこから程近い人気クラブ:Birdlandに行き、オーナーのGianni Valentiさんに取材(最初、ジョン・ヴァレンティさんと伺っていたので、まさか本人であるわけないにしろ、同姓同名なんだ!と吃驚していたのですが、ビジネス・カードを頂戴したら、JohnnyではなくGianniだったので、あらっ、と気持ち腰くだけでした)。さて、このバードランドですが、かつて1950〜60年代に大流行し、ジャズの曲名にもいくつか使われるほど、大きな影響力を持っていたのですが、その後閉店。しかし、現在のオーナーのジョニー氏がかつてのバードランドにゆかりの深かったチャーリー・パーカー夫人と意気投合したことから80年代に場所を変えて再オープン。今回訪れた3つのクラブの中では、最もNYのジャズ・クラブ、というイメージに相応しい店でした。活気があって、雰囲気も見事に醸し出した、極上のスペース。テーブル・チャージも、学生さんやミュージシャンは半額にしたり、とにかく、ジャズの発展、未来のために協力を惜しまない、と語り、従業員の気配り、サーヴィスにも細心の注意を払っている、とも言っていたのですが、確かに、それは感じました。ミュージシャンが熱演している時は定員さんの人がサーヴする時に出すノイズも全く気になりませんが、例えばバラードの時に勢いよく水をグラスに注いだりするとグラスのぶつかる音や氷が注がれる音も店内に響いてしまったりしますよね。でも個々は、そういった決め細やかさが徹底されていて、何気に関心してしまいました。アメリカ人はこういったことに対し、非常に大雑把な気がしていたのですが、いえいえ、徹底できる所は徹底できるんです。指導者がしっかりとしていれば。そんなバードランド、今夜の出演者は、と言いますと、とても好きな7弦ギタリスト&ヴォーカリスト:ジョン・ピザレリさんでして、しかも、後半にはお父様のバッキー・ピザレリさんもゲストで出演する、実に温かなショーでした。お隣り街:ニュー・ジャージーに生まれ育ったピザレリ親子だけにNYはまさにホーム・グランド。昔ながらのスウィングしまくるジャズに今日の要素やアーティストの個性を振りかけたジョン・ピザレリさんのなんともハッピーな世界。昔からジャズはダンス・ミュージックの中心だった、という言葉を思い出すほど身体が心地好く揺れ、オマケに、MCまでスウィングしまくる、明るいジョークの連発、心から楽しませていただきました。バッキーさんともいろいろとお話しが出来て、まさにNYでジャズ三昧している自分を実感することが出来ました。
● そしてホテルに戻ると迷子になっていたスーツケースも到着し、万々歳! さ、これで万全の体制でカリフォルニアに向かえます。明日は明け方から雪だよ、という周りの声だけがマイナス材料ですが、ま、なんとかなるでしょう、きっと。